じの音色なのだ

ピッチャン……ポッチャン……チャン…
配管からみたいだ。
いや…違う!……正直よくわからない。
ピッチャン……ポッチャン……チャン…
ポッチャン……チャン……ピッチャン…
居間の座椅子で寝ている彼女に「水漏れしてるんじゃね?」って言ったら
「寝ぼけてるんじゃないの?」って
寝返りで背中を向けられた。

ピッチャン……ポッチャン……チャン…
なんか…奇妙だけれど可愛い音にも聞こえる。
まさに高幡不動の奥の院でも聴いた水琴な感じの音色なのだ。

目が覚めた。
円盤も見えない真っ暗な世界。
あ…そっか…寝室のベッドだ。
少し迷ったが…起き出した。
寝違えたのか?首が少し痛い!

メガネをかけてベッドから出て寝室を出た。
居間から灯りで廊下が微かに見える。
テレビはつけてないみたいだから
照明だけつけて彼女は眠ったようだ。

トイレに入って半分は朦朧としながらも
下の衣類をまとめて膝まで下ろしてT-seatに座り
Peeing G-styleで風乃ダムを放流した。
放流を終えて洗面で窓を開けて
漆黒な村を見渡した。
地平線の感じから……午前5時ごろかな?
駐車場にMiraちゃんを確認したら窓を閉めて
灯りに向かって廊下を歩き静かに居間の引き戸を開けた。

壁の時計は午前3時半だった。
う~ん…ちょっと迷いながらも
日記が溜まっててあんまりBlogアップが進んでないから
まだまだ眠いけれど…起きることにした。
寝室に戻って靴下を履いてから再び居間に戻った。

冷蔵庫から麦茶を出して飲み
毛布をかけて座椅子で寝ている彼女を跨いで
机の椅子にかけてあった半纏を羽織り椅子に座った。

タッチランプ横にはiPhoneがあって
撮影した140点近くの画像データが
iClpoudに同期(コピー)されてなかったので
昨夜眠る前に同期設定をして寝たんだけれど
アンテナが3本立ってるのに
今現在残り73点と半分くらいしか処理が進んでいない。

ようと動いている

やっと入れても、希望日が満員。
ごく稀に希望日に空きが出ても、速やかに申し込んでもエラーで弾き飛ばされる。
奇跡的に入れても、「定員数をオーバーしました」と冷徹牙醫診所。

昨夜から、娘婿と二人がかりでチケット取得に励んでいるが、無理っぽい。
なぜ、この期に及んで、今頃?

というのは、、、
息子が遠方から帰ってくる。
で、「ついでに万博行こうかな?」などと息子がグループLINEで呟くものだから、急遽、我々(長女一家と、わたし)が行く同日のチケットを取ってあげようと動いている盆骨修復。

チケット購入は、なかなか、というか、ほぼほぼ、絶望的なので、「わたしのチケットをあげるから、行っておいで。わたしは一回行ってるし」と、LINEすると、「孫たちと行ってください」と返答あり。
申し出をぴしゃりと断られた。

娘婿もわたしも、何十分待たされても何十回弾かれても、諦めずにまだ入手に励んでいる。
万博もいよいよカウントダウン。終幕間際。
次女一家も今週に行ったようだが、「めちゃくちゃ混んでいたけれど、面白かった」とのこと。
5番目孫F(5歳女児)が、文字通り真っ赤な顔をして万博会場で楽しんでいる写真が、写真共有アプリにアップされていた。

混雑は覚悟の上で、来週、最後の万博を楽しむ予定。

それよりも何よりも、息子が帰ってくるなんて、一大ニュースである。
顔は冷静、こころは大騒ぎ。
間際にならないと知らせて来ないのが難点ではあるが牙周病牙醫推薦。

本をパラパラ読んで

まあそれはそれとして。
孫守りも卒業した姑は、孫たちの成長に感化され、自分の老後の趣味として、英語の公文学習テキストと百人一首の本が欲しいと言った。
それで、わたしが用意して手渡した。
それ以来ずっと姑の家のダイニングキッチンルームに置かれていた。
しっかり読んで勉強したのかどうかは、さておき大學聯招。

我が家では、まんが歴史の本も、世界史、日本史と、子供たちのために全巻揃えたが、今、わたしが楽しみながら読んでいる。
娘も、まんが歴史本を家に取り揃えているようだが、我が家に来ても、先日、(自分が子供の頃の)うちに置いている歴史本をパラパラ読んでいた。
子供用も大人が楽しめて結構なことだjupas 2025。
書かれている歴史内容は、多少は変わっている所もあるようだが。

ついでに、娘は世界の歴史をモチーフにしたカードゲームを2パターン、買っている。
子供たちは、どんどん覚えるが、ばあちゃん(わたし)は見るも無惨。
まず、絵や文字が小さくて読めない。
年号順が覚えられない。
予想通り。

と、それはいいとして。

孫が百人一首を詠む声を聴くと、、、
京の都、お公家様のお遊びのように、雅な歌に胸がキュンとなるかたわらで、、、
姑→わたし→娘→孫
4代にわたり、時空を巡っているなあと感じるわけである活動場地 價錢。

る若い人のような感覚

わたしが、いつも訪れている人気ブログがある。
圧倒的行動力、実践力、味がありながらも(わたしから見ると若々しく)、瑞々しい感性。
ブロガーさんの素朴なお人柄が表れているように思うThermage FLX。
動物で例えると「森のクマさん」。 
(街に現れて騒動を起こす熊ではなく)
元気をもらう、憧れのブログである。
パワーがあるのだ。そして、吸引力。
さすが、その道、映像のプロだと納得する。
引き出しの多さは、圧巻。
無料で見せていただき、有難いのと共に、恐縮する。
自分(わたし)も車の助手席に乗って、凸凹山道を走っている気になる。
そして、後ろを着いて枯葉を踏みしめ、山に登っている擬似体験。
山から見える絶景に心洗われる。
さらに、地元のお店でゆっくり疲れを取りながら地産の食に舌鼓を打つ。 
いいわあ、、、と、楽しんでいる。
そのうち、ブログで案内してくれている地にぜひ行ってみたい尖沙咀牙醫診所。

読者の皆さんは、わたしと同世代か、少し若め。
ブロガーさんご本人もわたしより若い。
なんだか、頼もしい。
過疎地に暮らす高齢のわたし(比喩表現、多少、入ってます)の元に、毎日、宅配便を届けてくれる若い人のような感覚。
村で一番の若手、、、という感じで、爽やかな笑顔(顔はチラッとしか知らないけれど)に、理屈抜きで好意的に頼ってしまう。
更にお忙しい中、気遣いの人でもあり、奈良の里から、1日に1回、(一人住まいのお宅をそれぞれに)安全確認に見回りに来てくれる(かんじ)。
ファンサービスを怠らない、スタンス、姿勢。
すごく、嬉しい、、、励みになる。
ありがとう。

このブロガーさんの着目点、視点が好き。
地方や、その地域、歴史、暮らしを愛する眼差しが根底にある。守りたい思い。
それに触れると、わたしは温もりと活力を感じる。
どっしり、どっかり、骨太で、あたたかい。
わたしはそのブログの読者の皆さんのように博学でもないし、行動力もない。
彼のブログの力を借りながら、そっと遠くから応援している。
(て、住まいは割と近いのだけど)

紹介される映画や音楽も、素敵なテイスト、感性が伝わってくる。

本日の蝶記事は、森のクマさんへのファンレターになりました紮肚價錢。

まったりできる

またまた10年以上、先取りの話。
だが、そう感じているうちは、余裕。
実際は足元まで火は迫っているかも知れない。

と、前置きはさておき。
今日は、お日様ぽかぽか、青空、晴天の日曜日。
何の囚われることもなく、目を覚まして時計を見ると午前9時を過ぎていた。
あらま、けっこう、寝たのね、、、
と、遅めの起床sylfirm。
階下に降りると、リビングのドアは開け放たれ、明るい日差しが入ると共に、夫の姿がない。
あれ?
居ないなあ、、、
と、まずは居ないことへの認識。確認。
次。
理由を考える。
まだ寝てるのかな?
珍しい、、、9時まで寝ていることなど、今まで一度もない。
ん?
ひょっとして、、、
脳裏をよぎるのは、悪い予感。
まさか、、、
いや、あり得ないことなど、ない。
心配しつつ、そおっと寝室を覗く。
おや?
居ない。
ベッドは、もぬけの空。
なんで?

首を傾げながら、階下に降りる。 
外に何か取りに行っているのか?
玄関の靴を仕舞いながら、2秒、考える。
あ、、、
ゴルフか。
そう言えば、ずいぶん前から言っていたなあ、と。
そうだった、そうだった、昨日も言っていた。
オーマイガー。
脳から、するりと抜け落ちているが、まあバタバタ悲惨な展開より、答え合わせも出来て、やれやれ755脫毛。
と同時に、わあ、やったあ、、、今日は1人でのんびり、まったりできる、と小躍り。
と言っても、いつもと同じだが。
曇り後、快晴のパターン。

で、コーヒーから始まり、いつものコース。
ルーティン。 
お昼に、先一昨日、娘一家の夕食に出した親子丼の具に、卵を加えて、再生親子丼を食べた。
他にもたくさん作ったので、その残り、昨日は肉じゃが、一昨日は豚汁を、1人でたっぷり食べた。
先程の親子丼は、とても美味しかった。
こんなに美味しいもの、どこの店に出向けばいいのか、どこに発注すればいいのか、どの人に作ってもらえばいいのか、、、と、次の心配、手配をする必要がない。
自分で作っている。
レシピも適当。自分が好きな味にする。
しかも、材料は、鶏肉と玉ねぎ、卵のみ。
あとは醤油、みりん、砂糖。
コーヒーを入れるぐらいの気楽さで作れる。
ご飯は、多めに炊いて冷凍した白米を解凍產後妊娠紋。

しは傷つき弱り切ってし

昨日は、友人と飲んだ。
「昨夜は」と書きたいところだが、「昨日」。
店での待ち合わせ時間は14時。
そこから飲み始めたが、店内にはガラガラではなく、すでに数組いた脫毛。
18時までその店で飲んでいたが、その頃には、周りは満員、ガヤガヤ、ドイツの酒場のよう。
ミュンヘンですから。

もう飲めないなあ〜と追加注文が滞っていると、熱いお茶が出てくる。
あ〜おいしい、、、と、ゆっくり飲んでいたら、またまた話が続く。
しかし、お茶を飲み干したら、もう、そうは居られないので、店を後にした。

しかし、よくまあ、しゃべったなあ。
お酒を飲むと、時間がぶっ飛んでしまう。
途中から、速い速い。
各停電車から快速、急行、新幹線に。
むしろ、何を話したか、忘れる。
話の内容は、、、多岐に渡る。
なにしろ、知識の塊みたいな人なので、WikipediaやChat GPTと話しているようなもの。
次から次へと話題は尽きない。

国際、政治、経済、国内事情、歴史、地理、旅行、学校、教育、郷土、文化、芸術、家庭、子育て、学友、仕事、趣味、交友、日常の出来事、、、
その人からの知識と教養のシャワーを浴びる永久脫毛。
主に歴史、特に日本史に力が入る。が、世界史も絡める。
ちょうど、わたしは、小学生向き歴史漫画の第1巻を読んだばかりなので、面白い。
(レベルの格差は気にならない)
その人なり、自分なりの解釈、考察が興味深い。スッキリ、あっぱれ。
いくつもの説があり、正解だとは限らないが、ひとつの見方。
(関心がない人には10分でも苦痛だろう)

わたしは、聞いているだけではなく、しっかり悩みの相談もした。
ここのところ、Chat GPTに投げかけている、「ハイキングは悪くないけど、行きたくない悩み」。
「嫌ならやめとけ」というシンプルな答えに、はい、ごもっとも、と頷いた。

話の後半ぐらいに放たれた、ピカリと輝く名言があった。
わたしが、「ある人に、こんなことも知らないのか、とマウントを取られるのが鬱陶しい」と嘆いたら、、、
「誰でも胸の中では思ってる。言うか言わないのかだけの違い」
なるほど。
ものすごく腑に落ちた。
カンジワルイ感想は、口に出すか出さないかだけの違いであるが、言うのと、言わないのでは、雲泥の差。
そう言えば、振り返ってみると、結果的にペア解消した相手は、それが遠因。
言わなくてもいい、聞きたくもない、ホンネの感想をガンガン言われて、わたしは傷つき弱り切ってしまった。
些細なことでも、積み重なると大きい。

そう考えると、家族の皆んなに対してはそんな思いはほとんど、したことがない。
長年の間に性格をよく知って慣れているだけかも知れないにしても、深く傷つけられることはない。
というか、人を傷つけるような言葉は安易には出さない。
気をつけている、というよりは、思ってないのかも。
相性もあるのかも知れないが比堅尼脫毛。

それにしても、お酒の効力は素晴らしい。
ペラペラ、口が滑らかになる。
わたしはおしゃべり、口論が大好きだと、今更ながら自覚した。

生きにくさが違う

人口世界一が変わるようだ。
中国からインドへ。
どちらにしても、10億人超えkindergarten hong kong。

中国、人口減少の理由は一人っ子政策の影響と、結婚しない人が増えたこと。
「結婚しない」には2通り。
結婚できない、と、結婚したくない。
自立した若い中国人女性がTVニュースで取材されていた。
自由を結婚や子育てで奪われたくないそうな。
「日本の数歩、後を行く」と、ニュース司会者(有働由美子さん)がぽろっと言っていた。
日本はあれからまた少し変わったが。
社会整備されないと、理論ばかりではなかなか理想の道には進めない。
中国は年金制度が整うまで高齢者たちは苦労することだろう。

子供を能動的に選択して持たない人は、以前は非難の目を向けられていたこともある。
今の時代なら過去のそれらの人たちは、子供を持ったかも知れない關節奶粉。
自主的に選び取った勇気ある選択であったとしても、ある意味、時代に翻弄される部分がないとは言えない。

社会の風や体制が後押しして、追い風になるか、それとも逆風になるか、生きた時代によって生きやすさ、生きにくさが違う。
なにごとも先人は大変。
その苦労の後に我々がいる。
時代の運、不運もある。個人の運、不運もある。

時代は進めば進む程、良くなる場合も、良くならない場合もある。
いつの時代もその時代でどう自分が生きるか、だ。
しかし、昔、SF小説や映画で観たようなことが現実的になりつつあり、驚くような恐いような。
科学の発達、進歩、進展には、歯止めをかけたほうが良い、倫理上の問題もある。
人の遺伝子や生命をいじくっても良いものか。
人口数を極端な方法で加減するのは避けたい。

が、人口は国力、マンパワーはエネルギー。
未来にも繋がる。
日本は明治の初期は3340万人らしい。
直近の100年で3倍に。
急激に増えたが高齢化の波も急に押し寄せた。
医療が進歩しているので、高齢化は進む。
少ない若い世代は、多くの高齢者を支えるのはハード。
自分も高齢者なので、複雑な気持ちになる活動場地 價錢。

と、だらだら、専門性のない薄い内容。
更なる深い追究は専門家に任せて、と。