ことは素晴らしいと

最近、丁寧に暮らしていない。

ゲゲゲの女房」が日課となり、いよいよ、朝の連ドラを観る年齢なのか、と
ちょっとショックだ。
フランス語ラジオ講座は、1か月を過ぎ、チンプンカンプンになってきた。
フランス語の優雅な発音だけが、頭を音楽のごとく素通り。
こういう展開は、予想できたが。

同じくNHKで放映されていた「上海・百年の物語」。
激動の歴史。
とても興味深かった。
自分の知っている上海は、そのうちの、ほんの少しだ。

今、読んでいる本の中で、「ここ、アンダーライン!!」「はい、ノートにメモ!!」という、
大事な、重要な箇所にいくつも遭遇した。
世界には本当に優秀な人、平凡な人、何も知らない人・・・、いろんな人がいる。

脳が感激している。
私の知らないことを、惜しげもなく、じゃんじゃん教えてくれる著者。
赤の他人の私に、ご親切に教えてくださり(出版物→おカネで成り立っているんだけど)、
未知の世界が広がることは素晴らしいと、今更ながら思った。
ワクワク。

も意識は昔のものだっ

まあそれはよいとして。(よくないが)
男は仕事、女は家庭、の弊害が子供の病理となって現れてきたようだ。
スウェーデンを手本に、男女協働を目指しはじめたかも知れないが、まだまだ行政も人々も意識は昔のものだった服務式住宅 月租

半世紀も経って、やっと少し変わった、というかんじだが、やはりまだ意識が変わっていない男性は根強く存在する。
若い男性ですら。
長い時間、培われてきた価値観は、なかなか変わらないのか。
それでも、少しずつ、変わりつつあるが、わたしはまだ楽観的な気持ちになれない。
世の中はどうであれ、自分の家庭内ではどうか。
それが大事だ。

夫は、初めて会った時、「僕は古風な考え方をしています」とサラっと言っていた。
別に気にも止めなかったわたしが、悪い。
今更だけど。
決して変わることはない場地佈置
絶望的な気持ちになるが、目を背け直視しないことにする。逃げる。
正面から向き合わない。
著書の中身とは、正反対だ。

辛抱強く、忍耐強く、夫を再教育した妻もいる。(実際に知っている)
わたしの姉である。
姉の姑にガチガチに洗脳されていた、姉の夫の洗脳を解くのは、さすがに難易度が高いのではあるが、少しずつ、少しずつ。
諦めず粘り強く。
姉に比べると、わたしはダメな人間だと、つくづく思う。
パワーが明らかに不足している。
そもそも、自分とは対等ではない弱い者を最初に(本能的に)選んだ、選ばれた、そこに根元がある。
無意識だったとしても、同等、または自分より強い女性は、ハナから選ばなかっただろう。
楽天家のわたしではあるが、どうしようもない事態を前に、すっかり気が滅入ることがある。

「女が自分と向き合うとき」を読んで、結局、自分は向き合わないという結論に達したようだ搬屋報價

められた場所にコーヒー

忙しい週末、週明けだった。
バタバタ。
中でも1番上孫(小5男児)との、「乗り鉄」(鉄道乗車愛好家)のミニジャーニーには、振り回された。
イベントがらみで、夫の実家に長女一家、次女一家で泊まりに行った。
泊まった翌日、わたしはご近所をサイフとスマホをぶら下げ、やたら大きなゴルフ日傘をさして皆んなと散歩腎癌治療
家周辺をぶらぶらウロウロしていたら、話が急展開し、いきなり、上孫との乗り鉄要員に抜擢され、電車に飛び乗ることに。
電車の中は、西洋人と旅人だらけ。
小学生男児と、大きな日傘ばあちゃんのペアは、明らかに浮いていた。

この乗り鉄への経緯を説明すると、この日は街おこしイベントの一環として、スタンプラリー的な仕組みで、予め決められた場所にコーヒースタンドが設置され、沿線電車に乗ってそのコーヒーを飲みに巡るというもの。
前払いでコーヒーチケットを買っていた長女に、残りのチケットと、乗り鉄ボーイ(1番上孫)を押し付けられた峰力 助聽器
電車は30分か1時間に1本なので、時刻表を把握していないと、待ち時間がやたら多くなる。
乗り鉄孫は、乗り鉄のくせに、時刻表は参考程度にしかせず、行動時間の配分が非常に良くない。

ゴルフ用の日傘は持ち柄部分が曲がっていなくて真っ直ぐなので引っ掛けることが出来ず、急な坂を急いで駆け上がったり降りたりするには、超ジャマ。
足に引っ掛けそうになる。
たったったっと、あんな坂、ばあちゃんの歳を考えてほしい。
アスリートではないんだから。
やたら急がされて走って息もゼーゼーで駅に戻ったにもかかわらず、駅では電車内で10分も通過待ち。
走るだけ走らされて、時間待ちなんて、振り回されるにも程がある。
しっかりしろ!わたし!
だけど運動にはなった。

とは言うものの、夫の実家に行く時にいつも降りる駅を起点に、乗り過ごす方向に向かって電車は走る。
いつも目的駅に到着してそれでお終いなので、それより向こうの駅にはほとんど行ったことがない。
だが、一駅一駅、ゆっくり景色を見ながら乗る電車は悪くない。
山や谷は深まる一方。
一駅進む度に標高が高くなり、気温が低くなる。
外国から来た旅人気分である。
登山客やハイカーの中に、手ぶらに近い小さなポシェット、ビッグ日傘のおばあさんと男児甲狀腺抽針
絵になる?ならない?

する感は否めない

読書、、、涙、涙に、本のページに涙がぽとり。
いつもいつも、わたしのむき出しのハートは感受性の塊になっている。
が、やっと一区切り。
と思いきや、第6巻まであるようで。
わあ、それは無理戶外證婚場地
休憩しなくては、頭が持たない。
(安物の頭は、持ちが悪い)
インターネットで続きを購入しようかと思っていたが、しばし躊躇、再考。
ばばばばーっと一気に片付けるのが苦手なわたしは、あとまだまだ6巻まであるのかと考えただけで、へばった。
どう考えても熱烈読書好きではないと思われる。

カチンコチンの岩のように難しい文章を一つ一つ読み砕いて理解し、その結果、涙が流れていた。
私の頭に「ご苦労さん」の意味もあるのかも。
とは言え、関西弁でひらがなも混ざり、読みやすい文章である。
が、なにしろ時は明治。
天皇制に移ったばかりで、国の方針転換が急激過ぎて、やや、ぎくしゃくする感は否めない。
これ、司馬遼太郎の昔、TV放映されたVTRが先週、再放送された中で言っていたことの、パクリです。
が、ちょっと司馬遼太郎の発言の影響を無意識に受けたのかも知れないが、なんとなく彼の主張を実際のテキスト(明治の小説)で復習しているような感じ。
洗脳されやすい?
これは要注意だ減 皮下脂肪
しかし、デリケートな問題なので、安易に書くのは控える。

さて、と。
バス停での皆さん。
待ち時間に色々おしゃべりをされていた。
話題は病気一色。
ここが痛い、あそこが痛い。
あの薬は、どーだこーだ。
あの先生は、あーだこーだ。
微に入り細に入り、説明しておられた。
先生もこういう場所で評価を上げられたり下げられたりするのだ。
上げられることはまあない。
大概は悪口。
どこに行っても、そんなに良くならないということ。
先生や薬のせいだけでもないと思うが。
痛い痛い、と嘆きを口にすると、ちょっとは気が晴れる?
「わたしはもっと重症です」という話が聞ける?
暑い中、バス停でひとり無言で待つよりは、仲間を見つけて時間の有効活用。
悪い作用はないと思う。
わたしは一人スマホ入力だから、声をかけてくれるなオーラを放っているだろう。
ブログネタも拾えるし、悪くない。
こうやって好奇心をもって、人の話を聞き、文章にするのは脳の老化に役立つらしい。

別に何か効果を求めてやっているわけではないのだが、ブログという趣味を持っていて、楽しいし、大満足であるbtl 眼袋槍

交通手段であるバスが

姉と姪が実践者で、わたしは見守るだけのナマケモノ
移動先は実家②(街)。
①と②の距離は10キロ。
バスで30分?
(行政区分では別の市町村)
実家①(田舎)は、ルーツの家。
実家②(街)は、両親の仕事場だった所。

だが、行政から見捨てられた感のある実家①地域は、公共交通手段であるバスが、朝夕のみで著しく不便。
わたしは、子供の頃、①と②の間を通学のため、バスで往復していた乳房X光造影
その頃には30分に1本、バスの便はあった。
今は、なんと1日2本のみ。
どういうこと???
プンプンプンプン。
切り捨てられた思い。置き去り地域。
車が無い人は、歩くか自転車?
あるいはタクシーに乗れと?
片道7000円?8000円?ぐらいかかるのに?
雨嵐でもないのに?
重い荷物を運ぶわけでもないのに?
病気でもないのに?
そんなに元気なら、健康のため、歩けと?
いえ、遠方から来るので時間がない。

私は自分が住む自宅の最寄り駅(電車)から実家②(街)まで、乗り継ぎがうまくいくと、電車で片道1時間半ぐらいかかる。
さらに最寄り駅から自宅までバスと徒歩。
バスも少ない時間帯もある洗牙 價錢
さらにバスが時刻表通りに来ないこともあり、ギリギリの場合は余裕を持って(バス時刻を信用していないので)一本早いバスに乗ったりもする。
すると乗り継ぎ待ち時間は益々増える。

実家②(街)へは自宅から2時間もかかるため、実家②(街)発、実家①(田舎)行きの朝のバスには間に合わない。
真剣に本気で乗ろうとすると朝日も上がらない暗いうちから自宅を出る羽目になる。
まるで冠婚葬祭当日か、非常時。
自由意思でちょっと行くだけに、そこまでして負担を強いられるのであれば、行く気がしない。
無理をしないのがわたしのモットー。

しかたなく、別の電車路線を延々と乗り継ぎ、行きは、降りた駅からはタクシーで実家①(田舎)へ。
帰りは①(田舎)発、②(街)行きの1日2本だけの夕方の貴重なバスに乗る。
一旦②(街)に出ると、電車の便はすこぶる良い。
目と鼻の先の便利な駅なのに、そこへ公共交通手段がないため辿り着けない。
JR、私鉄、特急、急行、快速も止まる主要駅で、とても便利。
実家②(街)は、家から電車のプラットフォームが見える駅から徒歩2分の至便の場所にある。
のではあるが、②(街)と①(田舎)が繋がらない。朝夕、バス2本のみ。
便利なのに、不便。この格差急救課程!!

打ち明けるのは躊躇

わたしの何の役にも立たない独り言にお付き合いいただき、ありがとうございます。
お役立ち生情報もなければ、ナビゲートもなければ、解説もなし。
あるのは個人的解釈と一方的な感想のみonda
これで面白いわけがない。
まあそれはそれとして。

ちなみに、わたしの売りは毒舌。
斬られて快感を味わう人もいる。
ひと(他人)のことアルアルで、自分のこととは思っていないようだが、実際のところは、斬られているのは当人も含まれていることが多々ある。
わたしは自分を斬るついでに、他人ごとごっそり斬ってしまうことがあるので、言葉には注意しなければならない。
言葉に細心の注意を払った途端に、切れ味の悪い、誰も傷つけない代わり、何の印象にも残らない、つまらないブログになる。
みんな幸せで良かったね、というスタンスのブログは、書いていてこころの底から満足しているかというと、そうでもない。
ほんとは言いたいけれど、自分では言えないことを代わりにわたしがズバッと言うと、スッキリして爽快な気分になる、と他のSNS日記で感想を言われたことがある服務式公寓
そのSNS日記は閲覧数は少なくないのは、そういった毒舌のせいだと思われる。

最近、わたしは、人のこと言えないよね、という自覚があり、あまり毒を吐けない。
飲み込んでしまう。
だから面白くない。
めちゃくちゃキツイことや失礼なことをおもいっきり思っているが、わたしのどの口が言う?と、さすがに胸の内を打ち明けるのは躊躇われる。
で、言わない。
で、中途半端になる。
最初はとんがっていて覇気があったのに、幸せになってしまって面白くなくなった女芸人みたいで、生気がない。
やはり、記事にするには緊張感、張り詰めるものは必要だ。
が、どよ?んとしている。

さて。
今からワンオペで4人の孫たちを、お迎え、お泊まり、明日の朝まで、保育所、小学校へ送り出し任務あり。
ああ、しんど月餅禮盒

うひと組を遥かに上回っ

小学校高学年での担任Y先生。
義務教育なのに、スパルタ教育。
クラスで結果はハッキリ出た。
2組あるクラスのうち、わたしのクラス、Y先生組の難関私学合格率はもうひと組を遥かに上回っていた。
まるで私立の塾のようだった醫學美容
巻き添えになった一般生徒は、苦しかった。
なぜなら、モチベーションもないのに、無理やり一緒に引っ張られて行ったからだ。
トップクラスに照準を合わせて授業を進められると、普通の生徒はどうなるか?
落ちこぼれるか、バテる。
さらに、トップクラスの生徒は(後の想像だが)難関校向けの塾にも行っていたのではなかろうか。
ダブルワーク。
そんな生徒と同じトラックを走らされたのでは、かなわない。
無茶である。
ほのぼのしていた小学生が、いきなり勉強地獄に放り込まれた。
しかも、母親との個人面談では、「お母さん、ご家庭でもっと勉強させてください」とY先生に圧をかけられたReenex
家庭は父の病気で大変な時期だったこともあるし、わたしまで手が回らなく、母は、全然先生の言うことを馬耳東風で、わたしには手をかけなかったが。
定期的に出される大量の課題が迫ってくる中、家庭でのサポートなし、現場(学校)での圧力に押しつぶされそうになった、、、が、タフなのか鈍感なのか、なぜかこころは潰れなかった。

その時の級友やら、その後の級友やらは、わたしとは全く接点のない世界で活躍している。
とても誇らしい気持ちになり、応援している。
が、私事であるような、ないような、自分とは違う属性の他人なのに変に近い、不思議なものでも見るようだ。
距離感を掴みにくくなる。
自慢したとすると、自分のこと、偉業ではないので、みっともないだけだ。恥ずかしい。

たまたま一定期間、同じクラスにいただけのご縁。しかも小学生高学年。
とは言え、あの年齢で、ほぼほぼ人生のコースは決まりつつあった生徒が多かった。
小学校の同窓会は今まで一度たりとも行われなかった。
言い出しっぺ的存在がいなかったのだろう。
あのクラスではねえ、、、
女子も男子も飛び抜けて素晴らしい頭脳の持ち主が揃っていた。
が、明暗がはっきり別れ、中には、隙間に染み込み埋没する生徒もいたが、卒業以来、一度も顔を見たことがない。
嫌だったんだろなあ、きっとHIFU